ネルシャツ分隊

ネルシャツ分隊の戯言

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我々、ネルシャツ分隊は高度な人権教育を受けています

色々起こってますね。世間。

尼崎の事件。凄いっすね。
あのニュース見て、大阪とかいうマッドシティww、ていうのは間違いですよ。
あそこ兵庫県ですから。おしゃれでモダンな神戸市のある兵庫県ですよ。勘違いしないで。

で、週刊朝日のアレね。
表現の自由とか、差別とか、本人たちも、マスコミも、その他周辺もいろいろ騒いでますね。
まあ、子供の頃から高度な人権教育を受けてきた僕に言わせると、ん?そういう話なの?って感じですね。
概ね「差別カッコワルいよ」というのが世論ですね。
週刊朝日もやり過ぎちゃった、テヘペロ。みたいに連載中止しましたね。
それに対して清原的「最後までやれよ、キン玉ついてんのか!」言論の人がいて、出自やルーツを探るのはノンフィクションの手法としてはアリだし、政治家で公人だから暴かれて当たり前、差別云々はない。という大前提で話をしていて、その点は論者が反橋下かそうでないかは関係なく意見が一致しているんです。

僕が、んー?ってなるのはここなんですよね。
被差別部落の意味わかってんの?
元々、身体的な差異がないのに、生まれた場所によって謂れのない差別を受けてきたのが、部落差別であってだな、ルーツ暴いちゃったら駄目じゃん!
オバマ大統領なんかを引き合いに出して、オバマも先祖がケニアから来てだな…とかの文言を見ても、あっちは肌の色でわかるけど、部落差別の方は隠そうと思えば隠せるんだよ。んで大体みんな隠してるんだよ。もしくは自分自身知らなかったりするんだよ(親が教えてない。とか子供の頃に引っ越したとかね。そもそも橋下市長は子供に教えていたのかな?選挙の時のどさくさで知っちゃった子もいるかもね。かわいそ)。とか思っちゃう。
他にも、出自による逆境から這い上がってきた橋下徹は実力主義者の象徴として云々…の文言を見ても、そもそも橋下市長って自分の出自を自分で言っていたか?ってなる。
後追いで認めただけのような気がするな。
でも公人ですから…てか(まあ、仕方ないけどね)。

なんちゅーか。サッカー日本代表の川島がフランスのコメディアンにdisられたニュースでも思ったけど、差別っていうのは黒人にニガーって言ってないから差別してないとか、「福島の被害者」を揶揄したつもりはないとか、言って逃げられる問題じゃないだろ。と思う。
相手のあるものだからね。相手が嫌がることはやっちゃ駄目でしょ。これ道徳の基本。
これは週刊朝日にも言えることだけど、怒られたらすぐに「差別カッコワルいよ」とか言い訳するのにはホント反吐が出る。
ちゃんと「このクソ部落野郎」とか「福島のミュータントとかマジ勘弁」とかはっきり言うたらええやん。はっきり言うたらええやん。んで、それによる社会的責任も引き受けたらいい。玉虫色とかやめて。
「てめえらの血は玉虫色だ!」
とか言っても決め台詞になんないじゃん。


あと、週刊朝日の記事を読んだ感想。
すごい悪意。悪意のサイキックインプレッションがビンビン来た。タイトルからして『ハシシタ』やからね。まあ、これは社是なんでしょうけど。
冒頭は日本維新の会発足パーティーから始まって、その場に居合わせたという創作臭い阪神帽をかぶったおっさんの「総理大臣になってほしい」みたいなコメントとかがあってね。本当にそんなヤツいたのかよ?いたとしてもそいつだけを抜き出すのも悪意があるし、すでにフィクション的作為だよ。他の大多数のまともな社会人は無視して、そいつだけとか…(ちなみに阪神タイガースは大阪の球団ではありません。兵庫県の球団です。南京町がある兵庫県。南京町行ってもロッテリアでメシ食うヤツもいるらしいね。)
で、もっとも気になったのは、第一回の記事の最後に中上健次の小説を思い起こさずにはいられないとか書いていたこと。
それは「路地=部落」を舞台に主人公秋幸と「路地」出身の無頼な父親との因縁が綴られた一連の小説と部落出身のヤクザの父親を持つ橋下市長の出自とを対比しての一文なんだけど、ここでもすごい齟齬を感じざるを得なかったね。
中上健次の小説は秋幸と父親の関係や人間性が「路地」や弟殺しや復讐やなんやかんやの判り易い物語に--秋幸本人の意図とは別に--回収されてしまうこと、つまり物語化の是非を主題としているのであって、いまから橋下市長と父親の関係を、物語に仕立て上げようとしているこの記事とはまったく別であってだな…と思った。
ワイドショーとか報道番組とかでもそうだけど、なにかと物語に仕立てようとしすぎだよね、世の中のことを。判り易さや伝わり易さはあるけど、結局物事の本質とはかけ離れていることが多いんだよね、あの手の手法って。(オタクは犯罪に走りやすいとかも同じようなもんでしょ。プリキュア観てる青年男性は犯罪者らしい)
尼崎の事件だってたぶん何かの物語にされてしまうだろうし、博多の通り魔もただ人を切りたかったと言っているだけなのに、どうせ何か物語が作られるんだろう。そもそも部落差別だって江戸時代から始まる物語の一種だ。
でも誰だって子供の頃、「バカになる」って言われていたのにおにんにん(女性はお種)をイジイジしちゃったことあるでしょ。
あれになんか物語ってあったっけ?

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| yankulfski | 23:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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なんでダンは耳をひきちぎんないの?

「なんでダンは耳をひきちぎんないの?」

プロレスの鉄人ルー・テーズがノー・ルール系の格闘技を見ていて、ふと言った言葉らしい。
寝技での膠着状態が10分の20分も続いていたシーンでのこと。
たしかに金的や噛みつきは禁止されていても、耳をちぎったらいけない、とはない。でもそれはやっちゃいけない。
まあ、いまさらノー・ルール系の格闘技を本気の喧嘩と同列に語る人はいないと思うけど、テーズからすればノー・ルールの定義がいまいち理解出来なかったんだろう。
ノー・ルールはノー・ルールなりのルールがある。本気の喧嘩とはまったくちがう。プロレスもプロレスのルールがある。ロープに振られたら帰ってくるとかそんなの。
八百長じゃねえか!というのは早計で、テーズに言わせると、本気でやったら勝った方も負けた方も目ん玉一個ないだろうし、耳は両方無いし、歯も全部無い。そんなの観て誰が喜ぶ?ってことらしい。
そらそうよ。

どんなものでもルールはある。そのルール上で、時折そのルールを逆手に取って(バスケのファウルゲームやいわゆるプロフェッショナルファウル、プロレスの反則攻撃)試合をつくってゆく。お互いを表現してゆく。
やっちゃいけないことをやっても誰も喜ばない。表現でもなんでもない。ただの悪徳。

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| yankulfski | 22:20 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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『北国の帝王』を観た

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ロバート・アルドリッチ 『北国の帝王』

大不況時代の1930年代のアメリカで鉄道のただ乗りをする『ホーボー』と呼ばれる浮浪者とそれを阻止する車掌の対決を軸に映画は展開されるんだけど、アルドリッチらしくシニカルな笑いとひねくれた男の世界を描いた、痛快な作品です。
この手のアメリカ映画の痛快さって、いまもうどこいった?という感すらあるから観ていて微笑ましく思える。

なにが痛快かといえば主要な登場人物の車掌のシャックやホーボーのAナンバーワンに、よく映画だからといって設定したがる過去やトラウマ(カセともいう)がほとんどないこと。
シャックはこれまでホーボーを16人ハンマーを使って殺したことがあるとか、Aナンバーワンは北国の帝王と呼ばれるホーボーの王だ、というくらいの設定しかなく、ただ単純に、この二人が男のプライドを賭けて戦うだけというのが良い。
なんでもかんでもトラウマのせいにしたがるのは作り手の怠慢にしか思えない。もしくはフロイト流?

そうしたアプローチで造形されたキャラクターであるシャックだったりAナンバーワンだったりは、彼らの動機に何の理由もないゆえに鬼気迫るものを感じたりもする。
結局、物語は論理的に説明するのではなく、殴りつけるように有無を言わさないのが大事ということかもしれない。
シャックがホーボーの無賃乗車を説得するのではなく、ハンマーで殴り倒すのと同じことかもしれない。
メタファーだ!とかは言わない。くだらないから。それこそフロイト流?

ここらへんのアメリカ映画のキャラクターは本当によく出来ていると思う。行動に矛盾があるところとか。頭のネジが一個はずれているようなところとか。
まさにアメリカ!って感じがする。
観てみ。

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| yankulfski | 20:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ちょっとコメンテーターがだらしないわ

『朝まで生テレビ』観てないんですけど、いろいろ聞くと結局橋下さんの株だけ上がったみたいですね。
まあそれも仕方ないと思います。
というのも橋下さんが喧嘩が強いからではなくて、反橋下論者の方々が喧嘩の仕方を知らないのが大きな原因なのではないかな、と思うからです(『朝まで~』は観てませんが、大阪に住んでるのでディベートはそれなりに観てます)。

反対論者の敗因その1。
本当に喧嘩になるとは思ってなかった。

まず彼らのほとんどがテレビで何事かを言わなければいけない職業の人物です。彼らの大抵は世間に対して何か警鐘を鳴らすことが義務だと思っている人や所属する業界や組織に忠実な人で、その妙なしがらみから反対というほどでもない懐疑的な意見を投じたのだけなんですが、橋下本人がマジで噛みついてくるという想定外の事態に陥ってしまった。
喧嘩の極意は先手必勝です。というか勝算があるかないかの判断力です。
橋下さんはあると踏んで喧嘩を買った。反対論者の人は売った覚えのない喧嘩を買われてびっくりしている。
プロレスで例えるならブック(あらかじめ勝敗を決めている)の試合だったのに、突然セメントマッチ(真剣勝負)になっちゃった的な準備不足感は反対論者にはありありですね。

反対論者の敗因その2
橋下さんは負けようがない。

上に書いたように、なぜ橋下さんは自分に勝算があると踏んだのか。これが重要な点で、個人的には負けようがなかったからだと思います。それはなぜか。
あくまで橋下さんの考える政治の世界というは実務的な世界で、なにをどのように行うか(もしくは行ったか)のみで判断されるべき世界で、その点で言えば橋下さんには落ち度はない。
といっても彼が行ったことが完璧というわけではなくて、いまだ功も罪も見えていない、その為にはもう少し時間がかかるという状態で、ともかくいまは特に大きな問題も起きていない。つまり反駁しようがない状態です(WTCはどうかと思いますが…)。
彼のよくいう対案出して下さいという言葉は負け惜しみでも何でもなく、本当にそう思っている気がします。教育基本条例やらのプロジェクトの決定のプロセスを見ていると、納得した意見はすんなり取り入れている気がしますし。

他方、反対論者の方々は何か言わなければいけないというしがらみから苦し紛れの反論、というよりはちょっとした不安みたいなものを言っていただけなので、自分たちが勝ちようのない喧嘩をしていることすら知らなかったのではないか、と思います。

香山リカさんのブログなんかで「精神科医に対案など出せるわけもなく」的なコメントがありましたが、あれはかなり致命的なコメントだと思いました。
橋下さんは彼女が対案なんか持ってないのを承知でそういっているんですよね。結局どうしたところで彼女はそこで詰まってしまう。

あと、これ重要な点ですが、コメンテーターの方々は別に勝たなくてもいいと思っている。そういう習慣すらない。
彼らはちょっと気の利いたことが言えて自分の立ち位置を知ってもらえればいいわけですから、別に勝たなくてもいい。そういう風に出来てると思います、あの業界は。

これまで政治といえば妙なイデオロギーの対立が前景化しがちでしたが、橋下さんのように、じゃあ対案出してよ、とかを言い続けることでいままでのイデオロギー優先の政治というのが封殺されてゆくような気がします。
日本の政治の党利党略ばかりで物事がちっとも進まないカフカの小説みたいなところがもう少しマシな状況になるのではないか、そして香山リカさんのようなコメンテーター職の方々も口だけ出している安穏とした状況ではいられないのではないかと思います。
それはそれでいいことだと思います。
きちんと勉強して具体的な発言をする。それなしで警鐘だけ鳴らしてるのはただのオオカミ少年ですしね。
少しはマシなコメンテーターが出てきてくれることを期待します。


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| yankulfski | 01:04 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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ワン・ビンの『名前のない男』観たの巻

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ワン・ビン 『名前のない男』

現代映画の先鋭ともいえる王兵(ワン・ビン)のドキュメンタリー。
簡単な内容は、穴蔵に住んでいるおっさんが土耕してうんこ拾ってメシ食って穴の中で寝て、ってことを四季を通して撮り続けたというもの。

ナレーションなしインタビューなしのドキュメンタリーで、最初はこのおっさん何してんだろって感じで興味深く観てるんだけど、そのうちに、どうせ土耕してメシ食って寝るんでしょ、って思っちゃって最初の興味から離れてしまった。まあ、トンガった映画だから観客の興味なんて気にせず作られていて、仕方ないといえば仕方ないことなんだろう。

ただ時折、おっさんが舗装された道を歩いたり、住んでいる穴蔵の西部劇的な風景の場所に遠くから車が走る音や何か工事らしき物音が聞こえてきて、画面に映る風景やおっさんの生活には登場しないものの、確実にどこか遠くでは(もしかするもっと近くで)現代的な生活が営まれていることが伝わってくる。
そうするとわざわざ文明から離れ生活するこのおっさんとは何者なのか?そうした疑問が自然湧いてくるが、もちろん映画の中でそれが語られることはない。
土耕してメシ食って寝る。たまに収穫したり雨降ったりするけど、何も起こらない。何も語られない。おっさんが好人物のように描かれることもない。その反対であることもない。ただのおっさん。もしくは人間。人間が土耕してメシ食って寝てるだけ。でも遠くからは文明の音が聞こえてくる。
ふと『ケーブル・ホーグのバラード』と『トゥルーマン・ショー』を思い出す。おっさんは車に轢かれて死ぬかもしれないし、もしかするとあの青い空や乾いた赤茶色の山は大掛かりな書き割りで果てまで行ったら、ゴン!という生々しい音を立ててぶつかってしまうかもしれない。けど、もちろんそんなことは起きなくて、おっさんは肥料用のうんこ拾って自分の畑に帰ってゆく。で映画が終わる。

どこが面白いのかさっぱりわからない。正直言ってその通り。気取った態度は嫌いだからはっきり面白い所なんてなかった。そう言ってやる。
でも何かを見たとは言える。何を見たか。人間。
そうとしか言いようがない。そんなドキュメンタリー、然う然うお目にかかれないよ。

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| yankulfski | 01:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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